ご案内

大畑線キハ85動態保存会

会活動は、以下の場所で行っています。青森県むつ市大畑町庚申堂


大畑線キハ85動態保存会の活動について

●大畑線キハ85動態保存会は、当初、航空関連会社の社員(ほとんどが機長)で構成し、鉄道模型を作ったり、鉄道旅行等を通して会員の親睦を図っている程度の活動でありました。
 しかし、私達は、昨今のあまりにものの古き良き鉄道文化遺産が消滅していくのを見過ごすことができず、何らかの形でどこかの車両を動態保存が出来ないかと模索してまいりました。

 そこで、2001.3..31をもって廃止になった下北交通大畑線が、

1.旧国鉄のキハ22を使用していたこと。(キハ22にとって最後の動態保存となる。)
2.鉄道施設が完璧に近い形で残っている。(車庫や線路)
3.昭和30年~40年代の古き良き鉄道風景が残っている。

等の理由があり、是非とも動態保存を行ないたい旨を書簡で申し入れを行ないました。

そこで、数回の下北交通とのやり取りのなか、下北交通白濱社長のご英断により2001.11.1をもって正式に動態保存が実現いたしました。

私達は、この企画が、全国の鉄道愛好家や賛同いただける方々に知れ渡り、お互いの共同作業によってこの鉄道文化遺産を末永く、後世に受け継いでいく必要性を今まさに痛感しております。現在会員数27名の会員で運営しており、現役の気動車運転手も我々の仲間となり、運転技法についても本職に近い形になりつつあります。

この企画が、単なる、鉄道マニアのお遊びではなく、今後は、下北半島の発展の一助となれば光栄です。

尚、大畑町の鉄道公園化計画が白紙撤回となりましたが、その後、現在の土地・施設所有会社「株式会社柏翠」様のご好意により今後も動態保存を続けてきております。

その後NPO法人GEMBUの傘下となり活動を続けています。

また、キハ22151内に80分の1鉄道模型レイアウトを設置して、定期運転会時に公開しています。
花輪線「新屋新町」駅と八戸線にあった腕木式信号機を設置し、駅から信号を転換できるようになりました。

ヨ8000をJR東日本から購入して動態保存しています。







古き良き現役時代の写真

 

現役時代のキハ22-150
(撮影:佐藤 徳代氏)

本州から北海道恵山を望む。 (撮影:佐藤 徳代氏)



リバイバル作品集
20世紀の鉄道メモリアル
新・ドキュメント「列車追跡」
№5 国鉄1982~1984
から46ページの大畑駅から。

掲載:鉄道ジャーナル社からの承諾済


リバイバル作品集
20世紀の鉄道メモリアル
新・ドキュメント「列車追跡」
№5 国鉄1982~1984
から46ページの大畑駅から。

掲載:鉄道ジャーナル社からの承諾済


国鉄:大畑駅
撮影:佐藤 徳代氏


大畑駅S47.8.22
佐藤 佳之氏撮影


大湊駅S47.8.23
佐藤 佳之 氏撮影


“想い出の車窓から” 掲載承諾済み


保存車両キハ85(キハ22)のプロフィール


この車両(キハ85-2)の前身は、旧国鉄キハ22形150号車です。キハ22形とは、旧国鉄が、主に北海道の普通列車用に投入した、昭和30~40年代の道内国鉄路線を代表する一般型気動車(ディーゼルカー)で、全長20m、客用扉が片開き2扉で、閑散線区で単行運転が可能なよう、両運転台(前後2ヶ所運転台が設置されている)とされ、正面は貫通形、車内は車端部を除きボックスシート(向かい合わせ座席)が配置され、一方の片側には便所も設けられています。

 同形式の特徴は、北海道の厳しい寒さから車内の保温効果を上げるため、側面窓は本州の車両と比較して寸法がやや小さくなり、さらに二重窓(内側にもう一枚窓がある)とされたほか、停車時のドア開閉によって車内の暖気が逃げることを防止するため、優等列車以外の気動車としては初めて出入口(デッキ部)と客室との間に仕切窓が設けられました。
 車体は鋼製ですが、車内床部分と二重窓の内窓部分の枠は木製です。

 同形は、1958(昭和33)年から総数で約300両が製造され、道内各地で活躍、一部は気候条件が似ている東北地方でも使用されました。1962(昭和37)年、新潟鉄工所(新潟県)で生を受けた同車もその1両で、東北地方各地で活躍し、国鉄時代の最終配置区は一ノ関機関区(名称は当時)、最終運用線区は北上線(北上―横手)でした。

 1981(昭和56)年、膨大な赤字に悩む国鉄は、経営再建策の過程でローカル線の整理を決定、これにより国鉄大畑線は、国鉄の第1次特定地方交通線に指定され廃止対象となり、1985(昭和60)年7月1日、新たに運営を行う下北交通株式会社に僚車2両(キハ22-149、151)とともに同社に移籍されることになりました。入線に先立ち、同年5月、旧国鉄盛岡工場(現在廃止)で、投入先の実情に合わせた以下の改造が実施されています。

① 車体塗色は朱色1色から、下北交通バスと同じ赤と白のツートンカラーに変更
② ワンマン運転実施のため、整理券発行機取り付けや車内監視ミラー取付およびドア回路変更といった一連のワンマン関係機器類搭載
③ ②に付帯して車内での乗客の流れを良好にするためと、運賃収受の利便を図るため、便所および出入口-客室間仕切壁撤去と、貫通路、助士席側乗務員室仕切壁の一部撤去(この改造でかえって前方の視界が良好になっています)と、ロングシート部分の延長(側面窓1個分…これによりクロスシートが現在の12組分に減少しました)

  旧国鉄盛岡工場における改造はデッキ付近が主体で、車内中央部はほとんど手を加えられておらず、ボックスシートのモケットはブルーのままで原型を保ち、網棚はまさに「網」で組んであり、扇風機にも「JNRマーク」が残り、外観も国鉄時代との相違点は塗色ぐらいです。ドア横に上下2ヶ所残る「枠」は国鉄時代の「号車札差し(①号車、②号車といった号車番号板を差し込む)」と「愛称名札差し(急行などで使用される場合、ここに列車愛称名を書いた札を差し込んだ)」です。ちなみに側面窓で1ヶ所、やや背の高い位置にある固定窓は、旧便所部分です。

 キハ22形は、国鉄の分割民営化≪⇒1987(昭和62)年4月1日≫前後より後継車に押されて次々と廃車となり、今やJR線上では既に"絶滅"し、私鉄に譲渡されたわずかな仲間も、毎日の運行で活躍している車両は21世紀の日本にはほとんどありません。つまり、旧国鉄華やかなりし頃の面影を残す唯一の現役車といってよく、また床下機器類も近年、現代水準に見合った新型に載せ替えられるケースも多いなか、そのようなこともなく、新製当時のエンジン(DMH17形)をそのまま使用しており、カラカラと響く気動車独自の"息づかい"はいまや希少価値であるといっていいでしょう。

なお形式名については、転換年(1985年)にちなんで「キハ85」と命名され、85-1~3の3両で再出発しました。転換後は、下北交通大畑線の主力として、朝の通学輸送時は2両、それ以外は単行として重責を担い2001(平成13)年3月31日の廃止まで使用されていました。